3.12.2018

奴隷として生きること(情報収集の成功)




さまこんにちは!

前回は配属していきなり躓いたお話でした。



活動記録シリーズ、過去回はこちら↓

第0回「マーケティング隊員のお仕事」リンク

第1回「つまづき、立ち上がる」リンク



出勤しない同僚。

見つからない支援対象。

でも、そこで止まってはいけません。

支援対象がいないなら、

協力できる同僚がいないなら、

取れる道は2つ。

①まずは同僚と協力関係を築く

②独力で支援対象を発掘する

協力隊員の「正解」は、たぶん①です。

でも、それは活動期間が長ければの話。

1年しか無い私にとっては、正面から①に挑むのは時間がかかりすぎます。

そこで立てた私の戦略は、②で実績を出して、同僚を呼び込み、①につなげる。

今回の記事は②の成功までの道のりです。
(2018年2月14日~16日活動分)

©Warner Brothers "Dark Knight Rises", Christopher Nolan, 2012









1. プランAの実行


支援対象を発掘するため、情報収集することにしましたが、その方法の第1候補として、地元の市場でお母さんたちへの聞き込みを考えました。

これは、協力隊員の先輩方から、地元の事は地元のお母さんたちが良く知っているとアドバイスを受けていたからです。

早速マーケットに出かけて、情報収集をしてみました。



が。



これは失敗です。



ケニアでアジア人は馬鹿にされたり、からかわれたり、あまり良い対応をされないのですが、スワヒリ語分かるよアピールで態度を軟化させることはできます。

マーケットの人たちにスワヒリ語で話しかけ、日常会話をするところまでは良かった。

そこから支援対象の情報を聞き込みに行ったら、一気に態度が硬化しました。



恐らく「買い物客」以上の関係を築く前に、それ以上の部分に踏み込んだのが原因です。

それに、男尊女卑社会のケニアで、既婚女性に男性が質問。

しかも彼女の生活圏に関わる情報というのがたちが悪い。

日本でだって、知らない外国人が、いきなり「支援できる相手を探してる」って言ってきたら不信ですよね。

相手から自分がどう見られているか、よくよく考えないから失敗しました。

彼女たちから情報を得るには、日常的に通ってもっと親密にならなければならない気がします。

プランAについては継続検討課題としましょう。






2. プランCの実行


もう結論を書きますと、プランCも失敗です。

プランCではケニアの品質基準であるKEBS登録銘柄から、生産者グループを追跡しようとしました。

でも、KEBSなどケニアの商工系は中央政府所属。

一方、私の配属先は、カウンティー行政。

しかもその中で、予算もついていない、弱小組織。

ほぼ無名です。

データベースにアクセスしたいと訴えても、無残に拒否されました。






でも、へこんではいられません。

ビジネスでは、10個のうち1個成功すれば、天才だと言われます。

天才ではない私は、50回失敗するまで、へこんではいけません。






13日夜に8つ挙げた調査方法のうち、14日に試せたのは3つ。

先にあげたプランAとC、そしてBです。

その中で成功したのは、プランB「乗り合いバスへの聞き込み」だけです。






3. プランBの実行



土地勘に優れている乗り合いバス(Matatu)関係者ならば、どこで、だれが、何をしているのか詳しいだろう、という仮説に基づき、ナクル市街地のステーションで聞き込みを行いました。



日本ではドライバーに聞くのが一番ですが、ケニアではドライバーと集客役が分業制になっています。

集客役はコンダクターといいます。

乗り合いバス(Matatu)1台につき、1人、コンダクターがいます。

彼らはふらふらしている通行人を無理やり引っ張ってきて、行先や運賃などを交渉し、運行計画を暗算します。

ドライバーは、コンダクターの計画に従って、本当にただドライブするだけ。






恐らく情報の集積が起こっているのはコンダクターだろうと仮説を立て、彼らにアタックすることにしました。



乗り合いバスのステーションに着き、ターゲットを探します。

歩いていると、「ハーイ!」

珍しく、アジア人の私にも気さくに話しかけてくれるおっちゃん。



「ハーイ。調子はどう?」

(あいさつは長いので中略)

「ちょっと情報収集に来たんだけど。

この仕事は長いの?」



「数年やってるよ。なんでもきいてくれ。」

このおっちゃんに聞くのが良さそうです。



「こういう理由で、支援対象を探してるんだけど、そんなグループ知ってる?」

「うーん、知らんな。」

「個人でもいいんだ。農家でも、民芸品でもいい。生産者を探してる。」

「分からんって言っとるだろ。」

機嫌悪くなってきました。

作戦を変えましょう。



「実はそういった情報を集めてガイドしてくれる、手練れのコンダクターを探してるんだよ。」

ポケットに手を入れて財布をいじる。



「おお、案内してやろう。知り合いを集めてみる。」

途端に機嫌が良くなります。

【案内してやろう(I will help you/ I can take you)】

とは、ここでは「チップをもらう代わりに手助けする」という意味を持ちます。

やはりケニアではこの方法が効く。

協力隊員の理想から外れるやり方かもしれませんが、私は効率優先で動きます。



彼はステーション中のコンダクターを周って、質問していってくれました。

しかし、芳しい答えが返ってきません。

(これもだめなのか・・・?)

空振り続きのインタビューの中で、ぼんやりと過去を思い出しました。






4. 奴隷として生きること


浪人時代は、私にとって人生で最もつらい時期でしたが、最も価値があった経験でもあります。

予備校の講師にオオシマという人がいました。

彼は少し変わっていて、英語を教えるだけではなく、人生に役立つことや、良い大学時代の過ごし方、学問の魅力など、本当にいろいろな事を教えてくれました。



ある時、彼は授業でこんなことを言いました。

「君たちは浪人生で、勉強しなければならない。」

「世の中には、浪人は受験に一生懸命であるべきで、すべての時間を学習に使うべきという人もいます。

でも私は、寄り道だらけ(雑談だらけ)の授業をやっています。なぜだか分かるかな。」



皆、ノートから顔を上げ、シーンと彼の方を見ました。



「確かに浪人生は受験勉強すべきだ。

それは必要なことです。

でも、自分に必要なことだけにしか興味を持たない人を何と言うか。

それを奴隷というのです。



「必要そうにないこと。使えそうにない、無駄なこと。

そんながらくたに興味を持ち、嬉々として集める人の事を、自由人と言います。



そのあとオオシマはリベラル・アーツ・カレッジの紹介をし、その授業が、私が日本で最も純粋なリベラル・アーツ・カレッジを(E判定にも関わらず)第一志望として拘り続けるきっかけになりました。



奴隷とは一般的に、いろいろな権利を持っていない状況を指しますが、その根幹にあるのは、「自分のことを自分で決められない」という事だと思います。

「今の自分に必要な事しか知らない」という状況では、「今の自分」の殻を破る選択肢自体を思いつけません。

それは、与えられている状況に支配され、逃れられないことであり、それは「自分のことを自分で決められない」のと同じ結末になります。



残念ながら、現代の日本は奴隷だらけになってしまいました。

大企業で仕事をしていると、

自分の職責の範囲はしっかりやるのに、

他の人がミスしても批判したり愚痴ったりしてばかりの人を、良く見ます。



関係ない他人の仕事に興味を持ち、

困っていたら手助けし、

その中で、相手の知識やスキルを学び取る。



そんな人は、やっぱり、

信頼されて出世したり、

転職して天職を見つけたり、

自由に生きているように見えます。



ケニアの人たちは、どうなのでしょう?

バスのコンダクターは本当に乗客に興味を持っていないのでしょうか。

そんなことはないと思います。

2カ月ケニアで過ごして、ここでは日本より、自由人の数が圧倒的に多いと感じています。

きっと、彼らはいろいろ知っているはず。

私の質問が込み入りすぎていて、

きちんと理解してもらえてないのでは。



そこで、質問を変えてみました。

「定期的に、商品とか、ちょっと大きな荷物を持って、バスに乗る人はいるかい?」

この質問は、次の仮説に基づいています。

・小規模生産者は、市場にアクセスするため、商品を持って定期的に移動する

・小規模生産者は、所得が小さいために自前の車両を持たない

そして、この質問がヒットしました。



「ああ、いるね。」

「うもじゃの女の子。」

うもじゃ?

「ああ、Umojaだよ。スペルはこう。」

そのひと何持ってる?

「ようわからん。膝に抱えるくらいのプラスチックボトルの塊。」

いつ来たら会えるかな?

「うーん、週一くらい。朝だなー。」



という事で、翌日(15日)朝から張り込んだところ・・・

16日に会うことができました!

(と言っても会えたのはステーションではありませんが。)






5. 出会い


2月15日は空振りし、2月16日朝にステーションをフラフラ。

色んな人にあいさつしながら、Umoja行きのバスの周囲を歩き回っていました。

そうしたら、私を見た男の子が「コニチワ!」と叫びました。

ケニアでアジア人は、ほぼ「チャイナ」か「●ン●ョン(中国人への差別発言)」と呼ばれます。

いきなり「コニチワ」は出ません。

この発言は、彼が日本人と関りがあったことを示します。

私のセンサーが強烈に反応しました。



「こんにちは!日本語がうまいね!」

「習ったんだよ。」

「ほおー。どこで?」

「昔、うちの近くにきてたんだ。」

「君はUmojaの子?日本人はUmojaに来てたの?」

「そうだよ。」



はい、協力隊員ほぼ確定。

先代隊員か初代隊員かは不明ですが、

定期的に表れる「女の子」も、

そこである可能性が高いと判断しました。



「君の売ってるナッツも買うし、

交通費も出すから、

そこに連れてってもらえないかな?」

「えー。。。」

「わかった。ナッツ半分買う。」

「まじで!?いいよ!」



ということで、乗り合いバスに揺られること、30分。

Umoja Oneという所にある、

Wanyororo dairiesという乳業組合に到着しました。



そこで待っていたものとは・・・

また今度!

書いていきたいと思います。






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